グローバルパーソンとは: アメリカ発、新時代の日本へ送るメッセージ 第6回: アメリカ人は意外にふつう(?)  
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第6回 アメリカ人は意外にふつう(?)



一方、外側から見ている私には、日本は、街の様子も人の心も、年々どんどん変わって行くように見えます。変わることで活力を見出し、変わらなかったらやって行けないというがごとくです。あるいは、それは単にマスメディアによって作られた虚像なのかもしれませんが、好むと好まざるにかかわらず、多くの人は、それに従わざるを得ないのが現実ではないでしょうか。

ただし、変化は改善でもあり進歩だと言うこともできます。日本人は、何事にもまじめにとことん打ち込むので、細かい部分にまでこだわりのある非常に優れた商品やサービスが生まれます。しかし、これが行き過ぎると、「改善」というよりは、「奥の深いもの」とか「ひねったもの」というように、徐々に歪曲した感じになります。

あからさまなものはおもしろみがなく、「奥の深いもの」や「ひねったもの」の方がよりおもしろいというのは一理あり、正直なところ、私も日本人の感性で見るせいか、アメリカの「もの」より日本の「もの」の方が、おもしろさも凄さも格段上だと感じます。でも、これがどんどん進むと、不自然でむしろ異常なものになることもあります。

個室だけの漫画喫茶、ガングロファッション、メイド喫茶、着ボイス、二万円のメロン、萌えフィギュア、暴走族、テレクラ、夜の繁華街に軒を並べる○○バーなどなど、日本ではよく見聞きする「ふつう」のことでも、アメリカ人に説明しにくいものは結構多くあるのです。

なにしろ、アメリカには女性ホステスがいるようなナイトクラブなどはほとんどありません(日本人や中国人を対象にしたものはたまにありますが)。男女均等法がそのような差別職種を厳しく規制しているということもありますが、もともと、アメリカにはそのような店が存在するニーズ自体があまりないように思えます。

それどころか、アメリカでは、公共性のあるテレビや雑誌で、ヌード写真はもちろんのこと、美味しそうにお酒を飲んだりタバコを吸ったりしている画像や写真を載せることさえ厳しく禁じられています。

そのような公共性の高い媒体だと、未成年者や幼い子供に与える影響も大きいわけで、「見る自由と見ない自由」が公平に両立しているのですが、要は、アメリカはすべてがとてもシンプルで単純。ある意味、「奥の深さ」や「おもしろみ」はあまりありません。アメリカは自由奔放な国というイメージがあり、区別なく「何でもOK」と誤解されがちですが、実は、アメリカでは「自己制御」もかなり効いていて、「何でもあり」はむしろ日本なのです。

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