グローバルパーソンとは: アメリカ発、新時代の日本へ送るメッセージ 第15回: 出会いこそすべて  
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第15回  「出会いこそすべて」

 

 

1979年の春、日本の大学を出てすぐに渡米した私の目的というのは、かなりいい加減、と言うより何もなかったと言ってもいいくらいでした。それを変えたのは、たまたまホームステイした家のアメリカのお父さんに言われたひと言でした。当時、私は二年くらい適当にアメリカで過ごせればいいと思っていたので、本で見た二年制の「コミュニティーカレッジ」というのに行ってみようと考えていたのですが、ホームステイのお父さんは言ったのです。「君はすでに日本で大学を出たのだから、アメリカでは大学院に行きなさい」と。

 

後で分かったことですが、アメリカのコミュニティーカレッジというのは、文字通り「地域学校」を意味しており、地域住人のための生涯教育の場という感じのものでした。数学や経済学などのクラスも取れますが、テニスやゴルフレッスン、文芸、クラフト、料理、さらには移民(難民)のための英語教育などなど、実に様々なニーズに対応していたのですが、実は、当時の私のニーズに合ったものではなかったのです。

 

また、大学院というと、特定分野を深く掘り下げた研究のようなことを行う場所だと当時の私は思っていましたが、日本で機械工学科を出た私を、電子工学科という全く違う分野で学院生として受け入れてくれるという話を聞き、半信半疑で願書を出したところ、カリフォルニア州立大学に登録される二校から入学許可を得ることになったのでした。

 

さらに、大学院を出たらすぐ日本に帰るはずだった私を引きとめ、アメリカで就職する結果に導いたのは、当時の私のクラスメイトでした。卒業式に間近いある日のこと、当時仲の良かったマレーシア人が、恐らくごく軽い気持ちで私にこう言ったのでした。「シリコンバレーまで車で就職活動に行くんだけど、お前も付き合えよ」と。この無責任(?)な一言が、私のアメリカ滞在の予定を大きく変えることになろうとは・・・

 

何しろ、気軽にこの話に乗ったわずか2週間後、私はシリコンバレーのあるハイテク企業から仕事のオファーをもらうことになったのです。もしも、私が当初の予定通りコミュニティーカレッジに行っていたら、この友達と出会うこともなかったし、シリコンバレーで技術者として就職するチャンスもなかったでしょう。ホームステイのお父さんに言われたこと、そして、この後、クラスメイトに誘われたことが、私の人生を大きく変える結果になったのです。

 

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